聴く

今朝は徳島傾聴塾の役員会議に参加。

以前は会員の方たちが老人ホームへ行かせていただいて、傾聴ボランティアとしてお話を聴かせていただく機会があったのですが、

コロナ感染が始まってからは行くことも叶わず💦

なかなか実際の傾聴をする機会が得られず、最近は定例の研修会を行うのみとなっていました。

でもやはり傾聴ボランティアとして人のお役に立てる活動をしたいし、実践を踏まえての勉強会をやっていきたいという希望があり、

今後は、別の機関とも相談しながら、傾聴させてもらえる場を創出していこう、ということになりました😊

今は電話やオンラインもあるので、やりようによってはたくさんの機会が出来てくるのかもしれませんね👏

不安なことがあったときや心配ごとがあったとき、話を聴いてもらえるとホッと安心しますよね😊

それは私も同じです😊

そして、それは子供でも、大人でも、高齢になっても・・・いくつになっても変わらないものなのではないかなぁと思います。

解決策が欲しいというわけでもなく、ただただ聴いてもらって、自分の思っていること、感じていること、経験してきたことなど・・・

自分のことを誰かが「わかってくれた」と感じると、そこには安心が生まれてくるのではなかろうかと思います。

さらに言ってみれば、神様は、私たち人間の親であり、私たちは神様の中に生きているようなものであるのだから、自分が何か言う前に、すでにどんな出来事でも、どんな感情でも、神様はすでにわかってくれているという世界もあります👏

「神様はいつも私のことをわかってくださっている」

神様は人とちがって死ぬこともないし、壊れることもないのですから、それは私という人間が生きている間、ずっと続いていくことですよね。

だからこそ、信心の稽古をして神様とのパイプが太くなればなるだけ、持続的な安心の世界で生きていくことができるのでしょう😊

金光教のお結界では、お参りの方のお話を聴かせていただき、それを神様に取り次ぎ、祈らせていただき、神様の願いをお伝えすることで、神様と人とのパイプを太くしていくことをさせていただいています。

少しでも多くの人が、このお道のご信心を通して持続的な感謝、安心、喜びを根底とした生き方になっていかれるようにと、願わせていただきます👏

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