うずしおサミットに登壇させていただきました

3月6日(金)、ご縁をいただいて第一回うずしおサミットに登壇させていただきました。

BECOME GOOD ANCESTORS「良き祖先になろう」をテーマに、様々な分野でご活躍の方々が集まり、

100年後、1000年後の徳島に何ができるか。

鳴門の渦潮のように、人を巻き込みながら、動いていく。

参加資格は、『自らが渦となり、新たな未来の社会・地域の可能性を探究していく意志のある方』🔥

ということで、本当に熱い人たちが集まったサミットでした。

私も「お遍路の精神性」というテーマでパネリストとして参加をさせていただきましたが、

どういう立場で発言をさせていただくか、、、🤔ということをずっと考えていました。

松本紹圭さん翻訳のTHE GOOD ANCESTORの本を読みなおし、お遍路のことを調べて、、、

出てきたのは

徳島でお遍路を身近に感じてきた「徳島の住民」として、

そして、「宗教者」として考えたお遍路の価値でした。

「住民として大切にしたいこと」は、お遍路が長時間かけて生んできた「お接待」という価値です。

我が家でも数年前、お遍路の方に泊まっていただくことがあり、その時に「徳島に家族ができて嬉しい」と、とても喜んでいただきましたし、その気持ちを受けて、私たち家族もとても嬉しい思いになりました。

こうして、する側も、される側も、互いに嬉しい気持ちを生み出す文化は、四国遍路の特徴かと思います。

海外の方も、このお接待という文化にとても驚かれ、感動されるそうで、この先も残していきたい価値だと改めて思いました。

そして、「宗教者」として考えるのは、

お遍路というのは身体的にも、精神的にも天地の大きさを味わえる機能を持っているということ。

普段の生活から離れて歩く中で、自分に向き合い、そして参拝道中の空、海、木々の中やお寺の中で、自分が天地の一部であるということを感じ取っていくことができます。

その体験を、文化や宗教、人種関係なく誰もが参加できるものとしての働きを、お遍路は持っているのだと思います。

そのお遍路が今のように庶民に一般的なものになってきたのは、実は江戸時代だったようで。(金光教教祖が遍路参りをしたのもこの頃)

お遍路のガイドブックを作り、道しるべをうった人がいて、そのおかげで、お遍路が普及したそうなのです。

この、誰もが参拝しやすくできるようにした整備・仕組みづくり、私はとても大きな功績だと思います。

そこには、「このお遍路で助かる人を、僧侶だけでなく、もっと多くの人に」という切実な願いがあったのではないでしょうか。

そして現代では、海外の方も多くお遍路にこられるようになりました。

ここからは、さらに外に目を向けた整備が必要になってきており、それは徳島の外のひと、内の人、両方の協力があって出来ることなのだろうな、ということを感じました。

さらにもう一歩、この「神仏の大きさを身体的にも、精神的にも味わう」というのは、お遍路だけでなく、金光教の教会も含めた神社仏閣すべてでもっている働きだと思います。

お遍路と同じように、誰もが天地の一部だと味わえるような場所として存在していくために、私には何が出来るのだろうか。

そんなことを考えさせていただく機会となりました。