語ることで捉え方が変わる?

本日は、月イチの徳島傾聴塾の研修会日でした💡

最近は講師が御用されている持宝寺(じほうじ)さんへ行かせてもらっています😄行く度に境内がきれいに整えられていっていて、それを見るのもちょっと楽しみだったりします♪
(ちなみに、今年の養成講座受講生、現在募集中です❗)

いつもは会員が作ってきた会話記録(実際の会話を文字起こししたもの)を使って研修をするのですが、今回は違う形での開催となりました💡

傾聴で村田理論を提唱している村田久行先生が、NHKの『宗教の時間』に出演した時にお話された文章を読んで、そこからどう感じたのか、というのを会員それぞれが話

「そこから何を感じたのか?」

というのを会員それぞれが話しました😄

ホスピスに四年半傾聴をしに行った時に出会った女性が、「私は母から嫌われていた」とイライラして落ち着かないでいたのに、傾聴を続ける中で「お母さんが向こうで待ってくれているような気がするし、最近は母親のことを祈っています」と言えるようになるまで変わっていったという先生の実体験のお話。

傾聴を通して「昔のことの語り」が行われ(生の回顧:Life Review)、亡くなったお母さんとのつながり直し(スピリチュアルケア)が行われたということですね😉

僕は決して、「お母さんが向こうで待っていますよ」とか、そのことを一言も言っていないんですよ。向こうからおっしゃった。どうしてそういうことが起こるのか。それは「生の回顧」という、先ほど申し上げた「昔のことをずっと語る」というのは、「生の回顧」というんですね。この分野では。「ライフレビュー」というんです。それは自分自身が生きてきたことをもう一度語ることを通して、自分の大事なこと、自分の一番 -日頃は思っていないけれどー 気が付かなかったことに気が付くプロセスだ。そして死をも超えた他者をもう一度見出す、そういう作業をしておられると思うんです。これをスピリチュアルペインを和らげるスピリチュアルケアと、私は思っています。それはつまり死を間近にした人は、そういうライフレビューをするんですね。自然とします。それはまさに魂の仕事と思っています。魂は、死が間近になると仕事を始めるんだ

NHK番組 宗教の時間 村田久行氏コメント

私は、この「魂が仕事を始める」ということは、「私の人生は〇〇という意味があったのだ」と、今までの自分の生に意味をつけていくことと同じことだと思いました。

なので、生の回顧(昔のことを語る)をすることは、亡くなられた方とのつながり直しという意味もあるし、自分の人生の物語を紡ぎなおしていくことでもあると思っています。

するとここで、金光教の信心と結びつきました💡

金光教では最近「神さまとの物語を編む」という表現をするけれども、それは、自分が生の回顧をする中で、そこに神様の視点を加えていく、ということなのだと感じたのです🥰

村田先生は、「死が間近になると生の回顧をしだす」とお話されていますが、実は、信心をしているということは、元気に生きている内から生の回顧をしているとも言えてしまうのかもしれませんね😁

そして、この生の回顧は、自分ひとりではなかなか、実に難しい😥

教会ではお取次ぎを通して、そのお手伝いをさせていただけます。

自分の人生で迷ってしまった時、死を間近に感じて苦しい時、お取次ぎの中から神さまと出会い、そこから新たな人生の紡ぎなおしが出来てくるかもしれません😊