自分を助けようとしてくれる働き

昨日の徒然日記で生の回顧について触れましたが、それについて考えている時に、よく思い出す本があります。

チャーズ
舞台は1947年の中国。中国共産党軍が、国民党軍の占拠する長春を食糧封鎖し、水も食糧も絶たれた30万人の民衆を餓死に追い込み、その当時7歳であった著者がその場で見てきたことを書いたという、ノンフィクション物語です。

これは、金光教の教師になるための養成学校に通っている時に、職員の先生からおススメされた本で、その時は試験の課題図書にもなっていました💡

かなり残酷な描写もあり、「これが現実なのか?」と、読むのを辞めたくなるようなところもあります。グロイ系・残酷系で気持ちが落ち込む人には、私はあまりおススメできません…😥

が、実は、これを書かれた遠藤誉さんのお父さんが、金光教の教師資格をとっていたこともあるくらい、金光教の信心に篤い方で、お話の中でもその人間性や宗教性に触れるところが出てきます。

物語の細かいところはもう覚えていませんが、大勢の死体の山を前に、夜中に神徳賛詞を唱えていた父の姿、という圧巻の場面は私の頭の中で映像として焼き付いています。

神徳賛詞(しんとくさんじ)

あおぎまつれば てん たかく(先唱者)
あおぎまつれば てん たかく  おろがみまつれば は あつし かみの めぐみに かさるる の 幸いさいわぞありがたき
わが 生神のいきがみ 御取次 おんとりつぎ 一日もひとひ くるときのなく 天地てんちの かみの 御守りおんまも  とおき ちかきの へだてなし
神慈しかんいつくみは 万代によろずよ  遍くあまね みちちて てしなく 神量らかんはかいは くすしくて ひとの おもいぞ およばざる
われら 今月こんげつ 今日こんにち いやびまつりてひたすらに かみのみかげを たたえまつらん かみのひれいを あおぎまつらん

金光教拝詞

そして、私がこの本を思い出す理由となっているのは、本に書かれている本当に最後の部分です。

著者は、大人になってからその当時のことを振り返ると、
とても苦しい経験だけど、そこには何か自分を助けようとしてくれた見えない働きのようなものがあったと感じるのです、と語っているのです。
(言い回しは覚えていませんがそういう意味として書かれていました)

『ただの偶然とは思えない、何か自分を助けようとしてくれた見えない働き』

これが、まさに神さまや御霊さまのお働きだと私は読んだ時に受け取りました🤲

以前、お参りされている方と話をしている時、ふと、その方が

「今日起こったことは、全部神さまが自分のために動いてくれているように感じるんです。」

と話されたことがあります。

これもすごく記憶に残っていて、さらにその時も、このチャーズの話が思い起こされました。

神さまは、この天地に生きるすべての人に助かって欲しいと、お働きくださっているんだな、と。(たとえ私達がそれに気づいてなくても)

そのことに気づける瞬間、というのが誰にでも訪れる機会があるのかもしれません。

そして、一度そのことに気づけたならば、どんどんと神さまのお働きというものが鮮明に感じられるようになっていく。自分の人生が、神さまと共に紡ぐ物語になっていくのではないかと思わせていただいております😄

雑記

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