初めての時は緊張する

数日、日本で過ごし、また今日からタイに夫婦で行かせてもらいます。

一度目は荷物預けの時からずっと緊張しっぱなしでしたが、二回目になると、だいぶ余裕で

すんなりと搭乗口までやってくることができました😅

こう思うと、「初めて」のことは、ひとつひとつがものすごく緊張するし、敷居が高いものだなぁと思います。

以前、私が金光教大阪センター企画での、本「神様に会うつもりじゃなかった」の原稿を書かせていただいた時、

ある、教会に初めて足を踏み入れた方のお話をもとに原稿を書かせてもらいました。

その時の方は、教会に行こうかと思ってから、数日は教会の前を行ったり来たりで、

教会玄関の扉を開くのにとても勇気がいったそうです。

私にとっては、教会は自分の家でもあるので、入ることに何の緊張もなく、他の金光教の教会も、

どんなところか、そこで何が出来るのか、ある程度想定ができるので、あまり緊張せずに入ることができます。

でも、金光教がどんなところなのか分からない、初めての人が入っていいのかどうかも分からないという状況だと、それは本当に敷居が高く、それこそ緊張しっぱなしのものになるのでしょう。

金光教教祖は、四国八十八か所にいったときに、「戸たてずの庄屋」の話に感銘を受けて

お結界で座るようになってからは難儀な氏子がいつでも参れるようにと、玄関の敷居を無くして扉を閉めれないようにしたとか・・・

今私が続けているこうした徒然日記も、そうした敷居が低くなる手助けになればいいなと思いながらも、

ほかにも、教会に足が踏み入れやすいような何かをすることは出来ないかなぁと考えています🤔

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