不完全でも

昨日の難波教会大祭の講師のお話を聞いていて、心に残ったこと。

それは、講師の先生が、自分が出会う出来事を神様からのこととして、とても楽しそうにお話をされていたことです。

その人生の中で起こってくることに対して「こうも神様がしてくれるのか!?」「今こういうことが自分に問われているんじゃなかろうか?」と、捉えなおして語っていく姿と、そのお話の内容から、

「神様が段取りをつけてくださっているんだなぁ」と、神様のお働きというものを感じさせていただきました😊

そして、「不完全なままで、分からないままでいいんだよ」という言葉と、「ちぢこまる必要はないよ、だって、私たちが対峙してるのは、天地の神様というとても大きくて広いものなんだから」という講師の言葉が、私の心にしっかりと残りました🙌

歳をとるにつれ(さらに最近は様々な動画で情報がはいってくる生活に慣れるにつれ)、

「自分はなんでこんなに物分かりが悪いのだろう。何も知らないのだろう。もっと、大人だったらなんでも知っておかなくちゃ。」

というような焦燥感や、自分の不甲斐なさということを感じることが増えてきました。

でも、それを先生は笑って、「不完全なままでいいんだよ」と言われる。

分からないからこそ、分かりたいと求めるようになるし、求めようとするその姿は恥ずかしいことでもない。

それが今の私にとって、神様からいただいた言葉だったのかもしれないなぁと思いました😭

色々と悩むこともあるのですが、それも神様からいただいた命ある中での稽古ごと。

楽しむ気持ちを持たせていただきたなあと思います👏

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