腹落ちの言葉

最近、週に2回、オンラインで2時間ほどのSalesforce自主勉強会の講師役をつとめるようになりました。

といっても、私も勉強はじめてやっと半年くらいのペーペーなので、自分が勉強してきたことを、理解したことを分かりやすいように解釈して伝えていく、という形での勉強会となるのですが😅

資料を時間かけて作って、それを毎回1時間と少しかけて説明して、

前日には夜遅くまで準備してプレゼンの練習していても、毎回勉強会前にお腹痛くなったり、緊張で声が震えたりします😱

もともとが緊張しいで、それを練習量でカバーするタイプなので、面白いけれど、中々、大変です😅でも、私が一番勉強させてもらえて、それが有難かったりします。

そうした勉強会をする中でやっぱり思うのは、

自分が納得して腹落ちしたことは、やっぱり話しやすいものだな、ということと、

逆に自分が不安だったりとか、分かっているようで分かっていないものに対しては、しどろもどろになってしまって結局伝わらなくなってしまうな、ということです。

これは、信心でも言えるのかもしれませんね。

金光教の信心とは、自分にとってどういうものなのか。

神様とは、自分にとってどういう存在なのか?

何を教えて、何を問うてくれるものなのか?

そういったことを、自分の腹落ちした言葉で語る人は、私にとって、とても魅力的にみえます。

腹落ちするには、学んだり、ただ頭の中で考えるだけでは足りなくて、そこには毎日の実践と稽古の中から見つける自分なりの発見・感動というものが必要なのだと感じます🙏

神様のおかげを腹落ちして人に語っていけるよう、日々の稽古を進めさせていただきたい、ふと、今日はそんなことを感じる一日となりました🙏

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