家が神の社へ

本日は生神金光大神様の月のお祭り日でした💡

11日の祭典日のお話の担当は私になっているので、

「さて、今日はどんなお話をさせていただこうか?」

と色々と考えておりました。

最近読んだ金光教の本の中で、

「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」

という言葉がたくさん出ていただし私もとても好きな御教えなので、このことについてお話させていただこうかな~。

と思って、原稿を書き始めたら…

「信心の目的は生神となること。」

というお話にいつの間にか変わっておりました😅

教祖生神のご神意は、氏子の家々がみな、神の社、神の広前となるを本願たり。

金光教教典 理解Ⅰ類 佐藤範雄14

この文章を読んでから、このことが頭の中を離れません👀

このお道の信心は、神に願って叶えてもらうことだけでは終わらない、

自身が神の願いを世に現し、自分自身も生神となっていくこと。

それがひいては、一人ひとりの家が皆、教会じゃなくても、神社じゃなくても、それぞれの家が神の社、神の広前となっていくこと。

そこに、本当の平和というものが出来上がっていくのじゃなかろうか。と思わせていただいた次第です🙏

神の願い、人が助かってほしいという願い。

大きなことでなくても、「ありがとう」とお礼の気持ちを伝えたり、謙虚になること、他人をいたわること、そういったものの積み重ねが、生神への一歩になっていくのだと思います😄

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