善意をうけて
少し前にCMで、同じものでも、ある人にとってはいらないもので、ある人にとっては良いものだった、っていうのがあったことが
とても印象的で頭の中に残っています。
善意でいただくものでも、人にとってはそれが逆にいらないものだったり、使わないで結局どうにもできなくなっちゃうことも、
ありますよね。。。
それでも、その人が渡してくれたものの中に込められた善意を、ありがたくいただくことが、私はとても大切なことだと思っています。
それは、金光教のお供え感からきているのかもしれないな、とふと思わせていただきました。
人は食べ物やお金をお供えされるけど、神様は、見えないし物も食べられないし、お金をつかって何かを買う、ということはありません。
けれど、神さまはその、神様を神様として立て仰ぎ、日ごろお世話になっているお礼としてお供えをされる、氏子のその気持ちに対して、
喜んでくださっているのだと。
それと同じように、人が善意でされること。その善意の部分を喜ばせていただきたいし、お礼を申し上げたい。そう思わせていただいています。
願わくば、善意でいただいたものを、さらに生かせる使い方が出来る私にならせていただきたい。
そう願わせていただく出来事があった一日でありました👏