自然とふれあうと
今日は、朝起きてからご信者さんの畑に、母と一緒に小松菜を収穫しにいってきました😊
雨が降るかなぁ・・?と心配しつつも、
ちょうど刈っているときにはほぼ降らず、帰ってくる途中でしとしとと降り始め。。
天候のちょうどよいおかげをいただきました😊
毎回、畑に行かせてもらったり、榊を切りに行ったりしていると、
作物を育てる、というのは本当に大変で、すごいことだなぁと思います。
私は植物を育てるのは苦手で、どちらかというと枯らしてしまう専門です😢
なので、ご信者さんの畑に行かせてもらったり、お野菜のお供えがあると、
「どうやったらこんなに立派なお野菜たちが育つのだろうか?」と不思議でたまりません。
金光教の教祖は農民で、農作物を育てる中で、神様の働きというもの、天地の道理というものを、
ひしひしと身に感じていかれていったのだと思います。
今は、スーパーに行ったらもう食べられる状態のきれいな野菜たちが並んでいるので、
植物が育つ、ということに対して向き合う時間も大幅に減ってきているように思います。
(徳島ではまだ畑も多いので、そうでもないかもしれませんが、都会では特に。。?)
それは同時に、天地の道理を実感する機会が減っているというのと同義なのかもしれませんね。
明治時代に入った頃、金光教の教祖は「世が開けるのではない、世がめげる(壊れる)のぞ」と言われたように、
天地の間にいながら、天地の働きを感じられない生き方が増えることは、
私たちの生き方にどういった影響を与えていくのだろうか。。とふと考えてしまいますね😢