願いをもっておこなう行事

今日は13時から、四国教区の先生方と一緒に、来年以降に向けての四国教区での育成行事について、企画会議を行っていました😊

といっても、14時から別件会議だったため、自分の伝えたいことを伝えたうえでの、途中退出となりましたが😅

今まで、十年に一度というタイミングで四国教区の教会全体で、大きな集会を開催してきました。

それはホールを借りて、落語会をしたり、講演会をしたり、お祭り行事をしたりと、たくさんの人が準備から関わり、人が集まっての行事でした。

その中で、金光教という集まりの中でのつながりが出来、一緒に活動する中でお互いの信心に触れ、行事だけでなく信心の育ちあいができるということで、私も金光教の先生になってから、たくさんの御用におつかいいただきました。

同じく金光教の若い先生たちも、そういった御用につかっていただいている方がたくさんいらっしゃいます。

そうした中で感じるのは、どれだけ自分ごととしてその御用を受けていけるか、ということの大切さです。

積極性と言い換えてもいいかもしれませんね。

なぜそれをやるのか?

その中で自分はどのような願いを持ち、また、神様からどのように願いをかけられているのかに心を向けてみる。

そうしたことの連続で、御用の中に神様との絆が生まれてくるのではないかと思うのです。

形を踏襲するのではなく、そこから何が生み出されていってほしいのか。

そうした願いをまず持つことが大切だな、と会議に参加しながら、思わせていただいた次第です👏

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