器づくりの信心

一般的に信心するっていうと、

「神社に参拝して神様に願うことじゃないの??」

と思うかもしれませんが、よく、金光教の信心についての説明で、「器づくり」という表現の仕方をすることがあります💡

私はこの言い方がすごくしっくりきていて、好んで使っていたりします😄

器づくりというのは、自分がいっぱいおかげを受け取れる大きな器になる、ということです💡

金光教では、「おかげ」というのは願うたびに神様から出してくれるもの、ではなく、私たちが気づかないうちに、もうすでに神様から目に見えないたくさんのおかげを受けている、と考えています。

「おかげの中に生かされて」という表現がしっくりきますね🥰

それは例えてみると、大きな蛇口からおかげの水が大量にとめどなく流れ続けているような状態。

けれど、そのおかげの水を飲むためには、入れ物(器)が必要ですよね。

ペットボトルの蓋の大きさだと、ほんのわずかしか飲めないし、ほとんどの水はこぼしてしまう😱

蓋→コップ→バケツ→大谷焼の甕…と大きな入れ物になっていくと、比礼して飲める水は増えていく。

この器を作っていくというのが信心である、ということなんですね😄

(なかには、自分は大きな器を持っていると思っていても、それはザルだったりもあるのかもしれません😂だからこそ、自分を見つめなおすということは大切💦)

そして、私は、この器を自分の人生の中で大きくできたらそれで終了、という話ではなく、そこには続きがあると思っています。

「器を大きくする過程は人それぞれだけど、こうやったら、私は器を大きくできたよ。」

と、自分が器を大きくしてきたその心の在り方を配偶者や子どもや孫、周りの人達に伝えていくことで、地球全体として、神様のおかげをたくさん受けられる世界が作られていくのだろうなぁ、と感じています🥰

まずはおかげを受けとめられるよう、自分の器づくり。

そして、「どうやったらそんな器が作れるの?」と感じてくれた人達に、自分が実践してきたこと、生き方が伝えられるようになっていけたらなぁ、と。

日々精進ですね😄

雑記

次の記事

篳篥ふけば