洒掃での心がけ
今日の午前中は、大祭に向けての教会大掃除でした。
御用に来て下さったご信者さんと一緒に、大掃除開始のご祈念をして、それぞれの担当場所を掃除していきます😄
網戸は外して水洗い。
天井の電球の埃も拭いて、ガラス窓もピカピカに✨
夏に使わせてもらった扇風機も分解して掃除して、また来年の夏まで待機です。
それぞれに、大変お世話になりました、という気持ちをこめて🥰
人数が多いと、全体の掃除スピードも速くなりますね😁今回は1時間半ほどで終了いたしました💡
御用くださった皆さま、またお祈り添えくださった皆さま、ありがとうございました😌✨
金光教では、掃除のことを洒掃(さいそう)と言います。
漢字の意味を調べてみると、下記のような意味がありました。
水をかけたり、ちりを払ったりして、きれいにすること。掃除。
デジタル大辞泉より
これだけ読むと、掃除の言い方を変えただけのような・・・🤔
でも金光教の信奉者がこの言葉を使う時には、さらに別の意味が含まれているような気がしています。
それは、神さまの御用としてさせていただくということです。
私は洒掃をさせていただく時、こんな風なことを心がけています🔽
・いつも使わせていただいて、お世話になり、ありがとうございます。というお礼
・自分の心に積もったチリも一緒に払い、綺麗にさせていただけますように。というお願い
・洒掃とは、ただの作業でも掃除でもない。神さまのお身体(この天地)を綺麗にさせていただく大切な信心の中身なのだ。というマインドセット
これらがあることで、ただの肉体労働としての教会掃除では終わらず、この掃除が神さまからのお徳をいただく信心修行となっていくのだと感じています。
10月31日に佐古教会は大祭を迎えますが、大掃除を含む準備期間も、大祭の大事な大事な中身💡
心をこめて、神さまに心を向けて、大祭にむけての準備をすすめさせていただきたいと思います🙏