畑Day
本日は、朝から夫と一緒に、畑Dayでした😄
久しぶりの畑作業だったので、一日かけて、お借りしている畑に伸び放題の草を刈り、レンタルした耕運機で畑を耕します😁
ちなみに、耕運機は毎回、喜多機械産業さんからレンタルさせてもらっております🙏
最近は、耕運機も一日だけのレンタルが出来るのですね😲
半年に一度くらいしか耕運機は使わないため、レンタルで済むのは本当に有難いです😂🙏
が、使い慣れない耕運機…まっすぐ進むことのなんと難しいことか😓中々うまく前へ進みません😣
ヨタヨタと機械を動かしながら、(金光教の教祖は江戸時代末期の農民だったので)教祖が牛をひいて畑を耕しているのもこんな感じだったのかな~?なんて想像をしていました😄
教祖は神さまの御用に専念される前は農業を生業としていたので、教祖の語るみ教えの中にも、植物などの例えを使うものが多くあります🔽
生まれたる者は死ぬるということあり、死ぬるにもいろいろがあり。百姓の人は、稲麦にたとえて話せばわかる。春、もみを苗代にまき、五十日前後に本田に植えつけ耕作しても、稲は白穂シラホ、麦は黒穂クロホになることあり。それを見て、子供が成長し、縁づき、その本人に子供のできぬうちに死去したのは、白穂黒穂のごとしとあきらめるほかなし。
また、早稲、中手、晩稲と種々の種類に分けてあるが、人間の上にも短命長命の別あり、途中死にという難儀のこともある。その時、子供、後におれば、相続する人あるゆえに早稲のごとし。短命と悟りを開き、あきらめるのほかなし。万事よろしきおくり合わせをこうむるよう大神様に頼み、先を楽しむ信心をせよ。
金光教教典 理解Ⅰ 山本定次郎38
こうしたみ教えに触れる度に、教祖は百姓として自然に触れながら、
人はこの天地とかけ離れたところで生きているのではない。
人も植物と同じ様に自然の道理の中に生きているのだ、ということを感じ取られていたのだろうなぁ、と思います。
最近は寒くなってきたと思っていたけれど、お昼は外で作業をしているとまだまだ暑い😅
おかげで今日は身体が良い感じに疲労して、よく眠れるような気がいたします😁
明日は教会の大掃除。しっかり寝て、明日も元気に御用にお遣いいただきます😄