教師になるキッカケは・・?

今日ふと、自分が金光教の教師になったきっかけって、何だったかなぁと思い出してみました💡

直接的な理由は、2人姉妹の姉が先に教外の方と結婚し、嫁いでいったことなのですが、

「将来、金光教の教師になるんだろうな」

ということは、もっと昔から思っていたような気がします。

といっても、金光教の教師になるために一年間学院という場所に行かなくてはいけないということも、大人になってから初めて知ったぐらいなので、具体的には全然考えれてはいなかったのでしょうが😅

私が子供のころ、教会では、教会のお祭りや行事以外にも、よく地域の子ども会の会場になったり、ガールスカウトの集会場になったりと、何かと人が集まることが多くありました。

そんな時、父も母も忙しそうにしていたけれど、いつも元気に、テキパキと皆のお役に立っている姿は、子どもの私からしたらすごく誇らしく見えていました。

なので、小学生低学年の時は、ランドセル背負って教会に帰ってきた時、誰も見ていないのに、

「私は、ここの子どもなんです!」と心の中で自慢しながら一人で鼻を鳴らしながら境内に入っていくという、謎の自信を持っていた時期もありました(笑)

もちろん、教会あるあるの自分の時間や空間が無いということ、休みの日に出かけたりも中々出来なくて行事のお手伝いもしないといけない、というところでは、嫌だなぁと思うこともあったけれど、基本的には、子どもの頃から親の在り方を見て、教会が好きだったんだなぁと思います😁

小学校の卒業文集の「将来の自分の姿」のところには、ちゃっかりと金光教教師の黒衣姿の自分を描いていましたし💡

そば粉の製粉会社に勤めた時も、入社試験の時に「将来についてどう考えていますか?」という項目では

「将来は教会を継ぎたいので、営業としていろいろな人と関わって経験を積みたい」と書いていましたし💡

具体的ではなかったにしろ、いつかはなるものなんだろうなぁ。とふんわり思っていたように思います。

(ただ、面白いことに、卒業文集も、入社試験も、書いた時の記憶が自分には無くて😅後から文集を見つけたり、仕事を辞める時に社長から「そういえばこんなことを書いていたね」と言われてかなり自分でも驚きました👀)

そこから、姉が嫁いで、いよいよ私の中でも仕事を辞めて教師にならせてもらうという話が具体的になった時に、

「すごく沢山の人が助かった、「あの先生は日本一の先生やった」とご信者さんから言ってもらえるような佐古教会の二代先生のような教師にならせてもらいたい!」という夢が初めて出てきました。

と言っても信心のこと、教祖のこと、教会のことは全く分かっていなかったので不安も多かったのですが、二代先生を習って、学院卒業の後は難波教会へも修行に行かせてもらうことを決めたのでした😄

今思えば、自分も気づかないうちから教師にならせていただく気持ちが醸成されていて、あんまり信心も教会もよく分かっていなかった自分が、自然とここまでこさせていただいたことがとても不思議です。

教師になって、色んな信心の先輩方のお世話になる中で、神様や金光教がよりもっと好きになって、夫と結婚してさらにその働きの大きさを感じさせてもらって…

ただただ、不思議な、そして有難い、神様の段取りということが頭の中に浮かんできます😣

この先どんなことが起こってくるのかは想像もつきませんが、

「神様は無駄ごとをなさらない」そのことを思って、先を楽しみにさせていただきたなぁと思います😄