教える側が一番おかげをいただく?
今日は、以前取ったsalseforceの資格の勉強方法を、他の人にオンラインでお伝えする勉強会を開催していました💡
試験には受かったものの全てが理解出来ているはずもなく、質問してもらったところに対して中々答えが出てこなかったりと、自分の勉強不足が身に沁みます😱
けれど、それもいいものですね。
こうして人に教えるということを通して、自分が分かっていないところも知ることが出来、さらに改めて理解が深くならせていただけることは、とても有難いです😄
信心もこれと同じ部分があるなって思います😄
祭典の後に、信心のお話(教話)をさせていただくことがありますが、お話を考える時、私はかなり考えます。
考えて考えて、改めて過去の出来事や自分の思いを見直してみた時に、
「神様の働きがこんなところにあったんだ!」
という発見をすることも少なくありません。
教話という、人に信心を伝える機会を頂けることで、ぼんやりとしていたものが、自分の言葉として言語化されて、信心へのより深い自己理解が出来ていくのを感じています🥰
お参りの方に信心をお伝えするということは、お話をさせていただく自分自身が、一番おかげがいただいているのですね😆
また、そういう機会をいただくということは、神様から「もっと信心してくれよ。おかげに気がついてくれよ」という願いがこもっているのかもしれません😄
今年は、教師研修会の講師として二件ほどお声がけくださっていて、どんなことをさせていただこうかまだ迷っているところなのですが、これがまた自分自身の信心を育てさせていただけるおかげとなるような気がして楽しみです😄