自分が偉いんじゃないよ
私は金光教の教師になってすぐ、8年ほど前に、大阪の難波教会で修行生として住み込みで一年間生活をさせていただきました💡
それまで難波教会には一回しか参拝したこともなく、ほぼ初対面の私を受け入れてくださった難波教会長、教会長家族には感謝の気持ちしかありません。
その修行中、いくつかの教会の記念祭に難波教会長の随行(ずいこう)として参拝させていただくことがありました💡
教会長が御用されやすいように、荷物を運んだり、祭服の着替えをお手伝いしたり、ということをさせていただくのですが、色んな教会に行けることがとても楽しく、またお直会で美味しいお食事もいただけることもあり、私はこの御用が楽しみでもありました🥰
そしてある記念祭に行かせていただいた時、ふと難波教会長が控室でこういうことを言われました。
「こうして記念祭にこさせていただくと、皆さんすごく良くしてくださるけれど、ここで自分が偉くなったと勘違いしたらあかんよ。
こうして皆さんが良くしてくださるのは、自分が偉いからじゃない。
これまでの歴代の先生方のお徳に対して、してくださっていることだからね。
これから色んなとろこに呼ばれることもあるかもしれないけれど、自分が偉くなったと思うと、間違うよ。」
と。
教会の先生になると、よく「先生、先生」と言われるし、それで自分が偉い人になったかのように錯覚してしまうことが確かにあるように思います。
そうすると、御用に支障が出てくるようになる。神様の人助けのお邪魔になってしまうようになる。
だからこそ、私が将来そのような間違いをしてしまわないように、難波親先生が教えてくださったのだなぁと、私はとてもその言葉が有難く、今も心に残っています😭
「実るほど、こうべをたれる、稲穂かな」
この言葉のように、お徳を積むごとに「みなさんのおかげで」と周りへの感謝にあふれるような生き方をさせていただきたいなぁと思います🙏