二代教会長の修行観

私の曽祖父にあたる佐古教会の二代教会長、木村久吉先生💡

難波教会の初代教会長・近藤藤守先生のもとで9年間、修行生として修行生活を送っておられた先生です。

実は私は久吉先生にあこがれており、「こんな先生のようになりたい!」と思って、金光教の教師になったすぐ後、同じように難波教会へ修行に入らせていただきました。

最初は何もかもが新鮮で、緊張もあり、一日が過ぎるのは本当にあっという間でした😣

けれど、生活に慣れてくると、どこか少し余裕が出てきます。

そして、その余裕と一緒に「毎日、境内と教会内の掃除、掃除。これで私は本当に修行になっているのだろうか?🤔」という気持ちがムクリと沸き上がってきていました。

そんな時、難波教会で本の整理をしていると、一冊の冊子を発見しました💡

藤守先生のお弟子さんたちが、亡くなった藤守先生を偲んで、思い出や教えを受けたことなどを書いている冊子です。

手に取ってパラパラとめくってみると、そこに”木村久吉”の文字が!👀

ワクワクして読んでみると、そこには、私と同じようにお広前や境内掃除をしたり、鳥の世話、盆栽の世話などをしていた久吉先生がいました。

けれど、久吉先生はその修行生活について、このように書かれていたのです。

初めて恩師の膝下に薫陶を受けしは明治三十八年四月にして御広前、御庭まわりの掃除から飼鳥、盆栽に至ることも意のままにさせられたり。これがおかげである。これが御神意の厚きことであった。

ただ日常人の生活状態は出来るがままに過ぎゆけばよい、事が足ればよい、という考えを以て為しては何の意味も何の修練にもならないと思われる。殊に神勤奉仕の修行に入る者は一事一物も油断のなきことを感得して居らなければならぬということを深く感じさせられた。

藤蔭 大正六年四月八日 第十一巻 第三號 「恩師を偲ぶ 木村久吉」

修行をする人は、ただ日常を過ごすだけではいけない、特に神さまの御用をするものは、何事にも油断のないようにしないといけない、ということを書いています。

それは、藤守先生とのこのようなやり取りがあったからのようでした🔽

一日お広前の掃除を為しつつありし小生が後ろより突然(藤守)先生は一喝を下された。「木村、箒は立てて掃けっ、箒もいたまず畳もいたまぬぞ」とこの數言はたしかに意味の深きみ教えであった。箒一つ持つにしても押し付けて掃くと掃けるがその埃をとるための掃除としては、箒を上げて立てて掃けば塵も綺麗にとれ進退運動も敏捷にして箒も損せず畳もすれずいたまず実に一事は以て万事にわたる心くばりの信心が籠って居ることを今もなお胸中に思い出すことである。

藤蔭 大正六年四月八日 第十一巻 第三號 「恩師を偲ぶ 木村久吉」

お広前で箒掃きをしていた久吉先生、藤守先生から「箒は立てて掃けっ!そうすれば箒も畳も傷まないぞ」と怒られます。

一見すれば、掃除の仕方に対する注意であるけれど、久吉にとっては、これが大切な信心の教えであった、ということなのですね😭

箒をはくということだけでも、その目的に沿って箒も畳もどちらもが最大限に生かされる在り方を考える。

この、すべてを生かす心配りというのが、私の信心に大きな影響を与えてくれました。

そして、久吉先生はこれらの出来事をこのようにまとめています🔽

古来賢達の英士は心は小に、志は大なるべしと実に一教に於いて先生が高徳の將星と景仰さるるは其の大なる現れの名声に憧憬するばかりにあらずしてその平常の小事に於いて斯くのごとし心胆を研練し、かくの如し志念を精覈せらるることに深く感激を与えられたり。其の盆栽の植物、鳥籠の小鳥は平凡なる玩弄物にはあらざりし皆な天地人生の微妙なる機管を彗察さるるの材料たりしなり。

藤蔭 大正六年四月八日 第十一巻 第三號 「恩師を偲ぶ 木村久吉」

日常の小さなことも、心を磨く鍛錬とすることが出来る。

盆栽や鳥の世話でさえも、微細な天地の在り方を教えてくれる信心の稽古となるのだ、と教えてくれています。

修行時代、私はこの文章に力をもらい、「信心の修行となるかどうかは、私の心次第。物事への心配りがどれだけできるかなのだ」と心を改め、一念発起させていただくことが出来ました。

昨日の日記に書いていた、「表行よりは心行をせよ」に通じるものがありますね😄

修行時代にこの文章に出会えたのは、久吉先生が(もしかしたら藤守先生が?)私に修行とは、こういうものだぞ、と背中を押してくださったように感じ、思い出すだけでも有難い、嬉しい気持ちにならせていただいています🙏✨

嬉しくて、内容をノートに書き写し。
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