佐古のさんぽマップ

教会がある佐古の町通りは歩道が広く、散歩やランニングをする人達が多いです🚶‍♀️

🔽佐古教会の前の道のストリートビュー。歩道が広い上に一方通行なのでとても歩きやすい道。

🔽ちなみに、ここの「中を見る」を押すと、教会のお広前が360度で見えます😄

そんな佐古の町に、ついに、さんぽマップというものが出来たようです💡

町内会で配布してくれました😄

A~Fまでの6コース、早朝や夕方の散歩にちょこっと行くには、ちょうどいい距離ですね😊

ちなみに、佐古教会はBコースの中にあります💡

ただ、この地図を眺めていると、あることが気になってきて・・・

お寺や神社は結構詳しく書いてくれているけれど、教会はここには入らないんだよなぁ~、と😢

何故かお寺や神社は誰でも参拝していいし、公共の場、という感じがするけれど、キリスト教の教会や新宗教の建物はその組織に入っている人以外は入っちゃいけないのかな?って感じてしまいますよね💦

これが、とっても不思議なところ🤔

歴史の長さや建物のつくりは全然ちがうけれど、制度上では、同じ宗教法人。

建物や土地はもちろん宗教法人のもので、個人の財産ではないため、教会に住んでいる側としては、「教会もお寺や神社のように、誰がきても良い公共の場」という気持ちもあります😅

※ただし、これは教会の先生の考え方によって全然違ってくると思います。あくまで私は佐古教会が公共の場でありたいと思っています。

その気持ちをどうやって現わしていけるのか。教会の敷居を下げていけるのか。

金光教では、教会を雪隠(今でいう便所)のようなところだと例えることがあります。

これは、教会が汚い場所だというわけではなくて、難儀な人がその難儀をおろしていける場所、という意味で使います。

この、難儀をおろしていく人達というのが、「金光教を信仰している人」だけでなく、天地の間に生きるすべての人達をさしている言葉として受けていく。

それがココからの私の課題でもあるなと、この地図を見ながら考えさせられました🙏

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