み教えの言葉の先
今日は、金光教徳島県青年部のオンラインミ―ティングでした💡
コロナ禍のため、対面で集まったり行事をしたりは中々出来ませんが…💦
これで縁が切れてしまうのはもったいない。オンラインで顔を合わせて、語り合うだけでもしてみないか?
ということで、今年から月に1回、青年部でオンラインミーティングをしております😄
今回のミーティングテーマは「好きなみ教え」でした💡
それぞれが生活の中で大切にしているみ教えや、気を付けているみ教え、これで心が軽くなったというみ教えを語り合いました😄
皆さんは、一体、どんなみ教えが出てくるでしょうか??
私は・・・好きなのがいっぱいありすぎて中々絞れません😭
というか、その時々、自分の状況や気持ちで、好きなみ教えがどんどん変わっていきます😅
ただ、いつもみ教えを読む時に気をつけようと思っているのは、
み教えの言葉の先を見ること、です😣
どういうことかというと、金光教のみ教えというのは、お参りの方たちそれぞれに合わせて教祖が伝えたことなので、その時代背景やその人の性格、受け止め方によって出て来る言葉も大きく違います。
私は、み教えは教祖と神様、参拝者の相互作用から出てくるもので、とても有機的なもののようだとも感じています。
しかも、その中にあって、『言葉』は意味を限定的にする性質をどうしても持っているので、
「教祖や参拝者が伝えたかったことの100%がみ教えの言葉に現わされている」
というよりは、
み教えの言葉が現わしているのは1%で、その後ろの99%の部分(教祖や参拝者が見て感じていた世界)に心を向けることが大切だなぁ、と思のです。
そのみ教えを伝えている時に、教祖がどのように思っていたのか、神様がどのような願いを持っていたのか、参拝者がそれをどう捉えたのか・・・
一つのみ教えでも、とてもたくさん感じるものが出てきそうですね😁
み教えというのは、本当に奥が深い😂
より広い世界が見えるように、もっともっと、学びを深めていきたいと思います🙏