心配を願いに

以前、佐古教会の大祭で講話をしてくださった先生が、そのお話の中で

「心配を願いに変える」

ということを話してくれたのを、最近よく思い出します😊

先生は自身の体験をまじえながらお話してくださいましたが、それを聞いて私は下記のようなことを感じました。

「不安なこと、心配なことは生きていたらいくらでも起こってくる。

それをそのまま自分でずっと抱えていると苦しくなってしまう。

だから、その不安や心配を「願い」という形に変えて、神様にそのままそっくりお渡ししてしまうと良い。

その後に自分の中に残るのは、安心の心である。」と。

不安も心配も、その向きを少し変えてあげると、強い願いになると思うんですね。

でも、一人ではそれもなかなか難しい😅

だからこそ、この不安や心配を「願い」に変えていくときに大切なのが、話を神様に取り次いでくれる「お結界取次の働き」ということにもなるのでしょう。

それは、祈念祈祷のように、取次者だけが神様に願うものでもなく、

参拝者の不安や心配を、神様への願いに変えていくという作業を取次者が参拝者と一緒にしていき、

参拝者自身の心の向きが「願い」に代わっていくこと。

そこに大きな安心が生まれてくるのだろうと思っています😊

一人でも多くの方が、お結界取次を通して、このお道、信心につながり、安心・喜び・感謝の生き方になられるようにと

思わせていただきます👏

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