気働き=心配り=信心
今日は、夫からおすすめされた落語の漫画を読みました。
「あかね噺」という、少年ジャンプに掲載中のお話のようです👀
とても小気味のいいテンポでお話が進んでいくので、楽しく読み進められました😄
途中、「落語で大切なのは気働きだ」という言葉から思い出したのが、難波教会の初代教会長、藤守先生の
「心配り」の信心でした。
相手が今、何をしてほしいのかと心を配る。今、あるものを生かしあえるようにするにはどうすればよいのかを、心を配る。
そうした心を配るという稽古は、すなわち、生活の微細にわたって神様のお働きや御心にも心を配っていけるようになるということ。
そうしたことを、藤守先生は弟子の先生たちにも教えられ、佐古教会の二代教会長も、その教導をいただいてきています。
そういえば、歌舞伎役者の嵐橘三郎(あらしきつさぶろう)も熱心に金光教の信心をしていたということを教えてもらったことがあります。
芸事では、舞台の空気感から観客の表情一つまで、本当にたくさんのことへの心配りが必要になるのだろうと思います。
もしかしたら、藤守先生の信心と、そういうところで親和性があったのかなぁ・・・なんてことを思わせていただきました👏