日柄方角はきにしなくていい?
だれでも、生まれる日と死ぬ日とは自由にならないのに、生きている間だけ、日柄(ひがら)とか何とかと言う。どのような所、日、方角も、人間に都合のよいのが、よい所、よい日、よい方角である。日柄方角などで、神が人間を苦しめることはない
天地は語る340
これは、江戸時代末期を生きた教祖が残したみ教えです。
今でも、結婚式や引っ越しの日取りで日柄方角をみることはありますが、だいぶ気にしない人も増えてきたように思います。
けれど、教祖が生きた時代は、かなりこの日柄方角というのは大きな部分を占めていたようで。。
とくに、陰陽道の聖地ともいわれるような場所では、日柄方角は守るべき一般常識のようなものだったのではないかと想像しています。
教祖自身も、天地金乃神様に出会う前は、人一倍そこを気にされ、対処してきました。
それが、神様に出会って、ここまでひっくり返ったようなみ教えが残っているというのは、驚きますよね。
ただ、これは全く気にしなくてもよい、ということでもないと私は思っています。
どこに行っても、何をしても、知らぬうちの御無礼はどこかに生じる。それを重々承知したうえで、神様にお願いして物事を進めさせていただく。
その神様に正直にお願いをして進めさせていただく姿勢というのが、上のみ教えの中に含まれているような気がしています。