身代わりにさする

昨晩は、なんとなく夜が眠れず、金光教関係の本を手に取っていました。

そこには、教祖が最期、

「人民のため、大願の氏子を助けるため、身代わりに神がさする。金光大神ひれいのため」

と神さまからいただいたお言葉を、わたしたちはどのように捉えることができるのか。

という今までの先生方の解釈や、本の筆者の方の考えが書かれていて、

同じ言葉でも

その人の信心の在り方で、捉え方が全然ちがうものだということが、とてもおもしろかったです😊

私としては、贖罪という意味でもなく、金光大神が人としての体の役割が終わりに近づき、

神様から、これからは神として人を助けよ、そのために身(からだ)をかえてやる。

というような、身体がなくなっての、「助けてくれと願ったらどこへでもいってやれる神」としてのはじまりの言葉だったのではないかと感じています😊😊

今年は教祖140年のお年柄。こういった教祖の言葉や出来ごとが、一体どういう神様との出来事だったのかと、

振り返ることができる年なのだと思います👏

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