ありがたいの稽古

今日は、夫の実家から教会への帰り道、ご信者さんのおうちへ新年の挨拶と、教会便りをお渡しに行ってきました🙌

ご信者さんや教会関係の方とお話をするときによく感じるのが、

「ありがたい」という言葉が会話のなかでたくさん出るなぁ、というもの。

私は金光教の教師になるまで、自分の話し言葉の中で、「有難い」という言葉を使うことはあまりなかったように思います。

金光教教師の養成学校である金光教学院に入学したばかりの時も、

周りの同期たちが言葉の端々に「ありがたい」という言葉を使っているのを見て、

「会話の中にそんなに「ありがたい」って出てくるものなの?!」と驚いて、

金光教教師として、そんな風になりたいなと思い

自分でも会話の中で「有難い」という言葉を使おうとしても、

なんだか気恥ずかしい気持ちが先に立ち・・・

「信心してる人に見せようとわざと『有難い』という言葉を使おうとしている自分」

というのが頭の中にあって、どうしても自分の中で拭えない気持ち悪さがあったんですね。

でも、金光教教師になって約9年。

気が付けば今は自然と、「ありがたいなぁ」「ありがたいですねえ」という言葉が出てる自分がいます。

前はあれだけ違和感があったのに・・・と自分でも不思議なものですが😅

言い続けて、心がそれに沿うようになったのかもしれませんね。

おかげで、言葉だけではなく、気持ちからも「ありがたい」と思えることが日常の中で増えてきたように思います🎶

最初は違和感があったり、うまくいかなくても当たり前。

それを続けて稽古していく中で得られるものがあるんだな、と昔の自分を振り返り、思わせていただきました🙌

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