白銀の世界の中で

今日は徳島でも、積もりました🥶

12月の10センチ以上の積雪は、徳島でも106年ぶりだったようです💦

少しやんだ時に雪だるまを!っと思ってみたものの、寒さに負けて何もできず、でした😅

このような雪の中でも、教会に足を運び、お参りに来られる方がいらっしゃいます。

その方々のためにと、教会長が玄関回りの雪かきをしてくれました👏

金光教の教祖は、

神参りをするのに、雨が降るから風が吹(ふ)くからと、大儀に思ってはならない。その辛抱(しんぼう)こそ、身に徳を受ける修行である

天地は語る144

とおっしゃられ、さらに

何事も辛抱(しんぼう)が大切である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。車でも心棒が弱ったり折れたりしたら、車が回らない。辛抱をしないで幸せを得た者は、あまりない。漁師でも農民でも商人でも、辛抱のない者は出世ができない。漁師や農民には風雨の天災があり、商人は損をしたりして、不幸せなことがある。それを辛抱していかなければ、幸せにはなれない。信心するにも辛抱が大切である。その証拠(しょうこ)には、神殿のお扉(とびら)を開いてみよ。ご幣(へい)か、み鏡のほかは何もない。ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神からおかげが出ると思わないで、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。

天地は語る255

ともおっしゃられています。

雪の中や雨の中、また暑い日、寒い日。

時間をつくってお参りに行くというのは、なかなか簡単なことではないと思います。

けれど、その辛抱が徳となり、この辛抱からおかげが出るのである、ということ。

最近、特に辛抱が足りぬ私にはなかなか心に響く言葉になりました😅

金光教では、信心辛抱(しんじんじんぼう)という言い方をすることがあります。

ネットで少し調べてみると、

辛抱は「辛(つら)いを抱(だ)く」と漢字で書き、そこからは、

「将来のために」とか「〇〇のために」というようなポジティブな目的で長期的に耐える時に使う言葉となるそうです。

今はつらくとも、それが神様からの信頼という「徳」になり、おかげをつくる器づくりとなっていく。

辛抱を、神様は決して無駄ごとにはなさらない。

そのことを教えてもらうような雪の一日でした👏

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