祈願を自分の言葉で

佐古教会で「平和の祈り」の祈願詞を奉唱し始めて四日目。

言葉を読み上げる度に、ニュースで取り上げられているウクライナの様子が頭の中に浮かびます。

こうしてご祈念する時に奉唱する「祈願詞(きがんし)」を作って、奉唱するというのは結構金光教独自の文化ではないだろうか?とも思っています。

友人の教師は、そのご信者さんごとに個別の祈願詞を作って、参拝に来られた時に一緒に奉唱するということですし、

別の教会では、「コロナ終息祈願詞」を、自分の心に沿うような内容に変えて奉唱しているというところもあります💡

「信心とは、神に向かう心である」

という言葉そのままに、祈念する側の心が神様に向かいやすいように、その形を変えていける、とても大らかな宗教文化だなぁと感じます😄

人それぞれでしっくりくる言葉や思いを込めやすい言葉というのは違うと思いますので、自分だけの祈願詞をつくってみる、というのも良いのかもしれませんね😄

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