真心のお供えに…
今日は、義父のお誕生日😄
最近何かとお世話になる天羽酒舗さんで購入した誕生日プレゼント🍻と、徳島の人気ケーキ屋・クリスティーヌさんで購入したケーキ🍰を持っていき、お祝い会をしました😄
12月31日は祖母の誕生日、1月2日は親戚との食事会、5日は義父の誕生日…と、この時期は毎年楽しい行事が続きます😄
美味しいものを連続でいただいて、コロナ太りしているところに更に拍車をかけてしまっており…
横に成長するよりも、心が成長して欲しいと思うこの頃です🤣
さて、そんなお祝い会の時にフトお話に出たのが、檀那寺からの志納金依頼のお話でした。
「耐震問題もあり、この度総代会で本堂の立て替えをすることを決定したので、目標額に対しての志納金をお願いします。」
というような内容のお手紙が届いたそうです。
家族の反応も様々でしたが、これは、どれが正しいというのは無いし、色々な立場からの考え方がありますよね🤔💦
志納金の金額が決まった状態で伝えられると、さらに話は難しくなりやすいですが…
それでも、お寺・総代側と、檀家とのお互いの納得感が大切だなぁと私は思いました。
檀家側に「本当にこれだけ払う必要があるのか?」という疑念の思いが胸の内にあるのであれば、それは本当の意味での志納金とはならないですし、お寺側もそれを求めているものでは無いだろうな、ということを感じます😓
(ただ、檀那寺と檀家との付き合いが薄くなってきていると、どうしてもそれは感じてしまうものですよね)
その疑念を払しょくし、「これだけのことを、自分はさせていただきたい」と納得できるようにするには、お寺側にも真心からの誠意が求められるし、何でも言い合える普段からの檀家とお寺との関係づくりが大切だと思います。
金光教では、『寄進勧化はするな』という教えがあるためにあまりこのような「志納金、いくらでお願いします」というのは少ないように思いますし、私もそういうことには前向きになれません。それでも、教会の建物は老朽化するし、維持のための費用も必要になってきますから、今回のことは全くの他人事ではないのも事実のところ‥😓
システム的に「いくらでお願いします」とするのではなく、「神様への御恩返しに、神様のために」と祈りを込めた真心からのお供えとなり、神様が喜び氏子が喜ぶ「祈りの中での建築」となるおかげをいただきたいなぁ、と感じさせていただきました🙏💦
神様は折々に、こうして私に問いかけをくださっているのだなあと思うと、それも有難いことです🙏