教学研究会から感じたこと

今日は、ほぼほぼ皆既の月食が見えましたね♪夫と一緒に眉山まで、見に行ってきました😄

徳島の夜景と合わせて、とても綺麗です😍

さて、本日は年に一回の、金光教教学研究所が開催する教学研究会にオンラインで参加させていただきました💡

開催の目的は、『本教信仰の現状や全教が当面する諸問題をめぐって、教学研究の課題意識と全教の問題意識との対話を行い、教学的課題の明確化と研究内容の充実を図る』とのこと。

初めに一時間ほど教学研究所所長からの基調講演をいただき、その後、『教祖研究の展望』をテーマに、現在の教祖に関する研究資料についての説明と、全体懇談が行われました✨

教学で使う言葉は私にとって聞きなれない言葉や言い回しが多く、毎回必ず頭がパニックになるのですが、それでも自分なりに「こうかな?」と思うところを見つけられるようにしようという努力はしています😅

今回の基調講演で心に残ったのは、教学研究は他の研究とは違い、その研究対象(文献や出来事)が、研究主体である自分をも巻き込んでいくものである、ということでした。

私は生物工学科出身なので、遺伝子研究を学生の時にしていましたが、その研究が自分自身を変えていく、ということはありませんでした。そこには、「私」と「研究対象」には明確な距離があるからです。

けれど、教学では教祖や教団史、教義などの研究を行う中で、自分の信心さえも吟味され、自身の価値転換がおこることがある。そうした性質をもっているものだ、ということが印象的でした。

そして、近年新たに出てきた教祖資料(金光大神年譜帳、金光大神歴注略年譜、金乃神様金子御さしむけ覚帳、御金神様御さしむけ金銭出入帳など)を含めた、これまでの教祖資料の研究成果や、これから期待される展望についての全体懇談の中でお話を聴かせていただきながら、

「金光教は、まだまだ草創期の宗教であり、これからの私たちがつくっていくものなんだな」と改めて感じさせていただきました👀

新しく出てきた資料の中には、今までの研究資料には載っていなかった事跡などもたくさん出て来ています。

これらの研究成果を含めると、現状の教典や教祖伝、教規の見直しさえもされていく可能性だって十分あると思うのです。

金光教の信心は、今教典に書いてあることが信心のすべてでそれを守れば良い、という解釈ではなく、どこまでいっても言い現わしきれないものとして、自身の中で問い続けていくものであるということも、改めて思いました。

新しい教祖資料が、これからの私たちの価値観を、どう転換させてくれるのだろうか、と先を楽しみにさせていただけるワクワクする教学研究会となりました🙏✨

このような場に参加させていただけることが、本当に有難く、もったいない限りです😭

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