覚悟のはなし

金光教には、立教神伝(りっきょうしんでん)というものがあります。

漢字の通り、天地金乃神様が教祖様に伝えた言葉で、ここが金光教の立教(宗教・宗派の教えが打ち立てられること)となっています。

🔽その言葉の内容はこちら

この幣切り境に肥灰(農業)さしとめるから、その分に承知してくれ。外家業はいたし、農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いがすみ、また農へ出、またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。なんと家業やめてくれんか。其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼと農業しおってくれ。此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き

立教神伝

以前、大阪の難波教会の祭典後にこの立教神伝を、お参りされた方へ読ませていただいた時、後で難波教会の教会長から「さっきの立教神伝、どういう気持ちで読み上げていたの?」と聞かれたことがありました。

私の中で、神様の気持ちになって、精一杯心を込めて読み上げさせていただいていただので、教会長にも何か感じるところがあられたのかと思い、大変驚きました。

ちなみに、私はこの立教神伝を読ませていただいている時「誠に申し訳ないけれども、頼まざるを得ないのだ」という、神様が教祖に懇願する形に近いイメージを持っています。

”死んだと思うて”と言葉にするのは簡単ですが、実際にはこれまで家業として発展させてきた農業や、家族との生活があります。それに、教祖自身の楽しみにしていることなんかもあったんではないでしょうか?

それを、「42歳の時に死んだと思って、これから神を助けてくれることに専念してくれ。」と、お願いされる。

全てを捨てて神様のために生きる。これほど強烈なお願いは、そうそう無いのではないでしょうか。

それをお受けされる教祖も、強い覚悟があったのだろうなぁと思うと同時に、お願いされる神様にも、大変な覚悟があられたのだろうなぁ、と思うのです。

金光教教師にならせていただいたからには、この立教神伝をいただき、自分と神様との間でもこのお頼みをお受けする覚悟がいるのだと思いますが…私自身、まだまだいろんな所へ行ってみたい、夫や家族と一緒に自分の人生を楽しみたい、という思いがあり、まだまだ覚悟不足なんだな、と痛感します😥

いつ私自身に神様からそのように頼んでくださるタイミングがあるのかは分かりませんが、神様から頼まれるくらい神様からの信用を頂いて、その覚悟をつくらせていただけるよう、本当にまだまだですが、その方向を目指して歩みを進ませていただきたいと思っています🙏

雑記

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