物を通じて相手を想う

昨日は、勉強の日💡

日本ではコーヒーで有名な、ホンジュラスという中米の国について、文化や歴史、2020年11月に2度起こったハリケーンとコロナ禍によって家も仕事も食べ物もなく北米へ移民しようとする人達が多くいる現状などを、子どもたちと一緒に学びました💡

とても分かりやすいニュース記事があったので、興味ある方はこちらを。

気候変動や貧富の格差社会、貧困による移民難民の増加・犯罪の増加、教育機会の不足、国際支援の不足など、様々な要因が複雑に絡み合い、このような状況になっているのだろう、ということが考えられます。

そこから、私達には何が出来るだろうか?ということに目を向けてもらうことが今回のテーマだったのですが、一緒に学んでいる子どもたちは理解はしてくれているものの、あまり集中出来ていない様子で雑談の方が多め🤔💦

「移民難民問題が身近ではないから想像がしにくい」
「地球の裏側のことだから、自分とは関係のないものとして捉えている」
ということがあったのかもしれません😭
自分の指導者としての力不足を痛切に感じました😱😱
共感力や物事を自分ごとに捉えていくっていうのは、どうやったら養っていけるのか😓

そんなことを思っていた今朝、ご祈念中に、ご信者さんがつくった折り鶴がご神前にお供えされているのが目に入りました😲
毎年、この方はたくさんの折り鶴をお供えしてくださり、それを金光教本部で開催される子供たちの祭典「わかば祭」にお供えさせていただいています✨

神様にお礼の気持ちを込めて自分のできる事を…と祈りを込めながら折られているご信者さんの姿が思い起こされ、有難いなぁという気持ちが湧き上がってきます😄

そしてご神前・ご霊前にお供えされているものには、そういう「相手の顔がわかる」「物にこめられた気持ちがよく伝わってくるもの」が多いなぁということも改めて気づきました。

「あのスイカは、あの人のこんな気持ちがこもっている」「あのチオビタはあの人のこんな気持ちがこもっている」こんな風に、その人達の顔と、気持ちがアリアリと想像することが出来ます。

それとは逆に、
今朝飲んだオロナミンCも、
スーパーで買うお野菜たちも、
これらをつくるためにたくさんの人達が関わっているはずだけれども、その人達の顔は分かりませんし、どんな気持ちが込められているのかも分かりません。
私達は、生産者や売り手との距離がどんどん遠くなっていて、そういったことがより想像しにくい生活スタイルになってきているんだな、ということも思いました😣

他者を想像することが少ない生活、そんな中だと、共感も、他を自分事として捉えることも、難しいものになってくるのかもしれませんね😥

だからこそ、そういった機会を自発的に求める、提供していくことが大切だと思いました。

今はまだ興味がもてなくても、この先こどもたちがホンジュラス産コーヒーを飲んだ時、自分たちが学んだことを思い出し、そこに住む人たちのことを想えるようになっていってくれることを、願っています🥰