気掛かりを気遣いをもって

今日は久々に、傾聴塾の研修に行かせていただき、その後、夫の実家に行って畑作業をしてきました😄イチゴが少しずつ実が出来始めており、ワクワクさんです😂

傾聴といいつつも、聴き方というスキルの部分だけではなく、「何をきくのか?」「苦しみの原因とは?」という考え方や理論をしっかり学ぶ塾で、今回のメインテーマは、人間は、何をもって「存在している」のか?についてでした。

哲学者であるハイデガーの『現存在の存在は気遣い(care)として露呈する』という言葉について、皆で感じたことを言っていくのですが、

心に残ったのは、参加者からの

「赤ちゃんは一人では生きていけない。そこにいるだけで、周りは赤ちゃんに対して気遣いを見せる。それだけ、赤ちゃんの人間存在としての存在はとても大きなものなのだと思う」

という言葉でした。

人は他者を気遣うことによって、そして他者に気遣われることによって、そこに存在していくこととなる。

傾聴とは、人の気掛かりを、気遣いをもって聴かせていただくことで、その人自身が自分で助っていくのを支援していくこと。だと私は理解しています。

金光教では、結界取次という場所で金光教教師が、お参りに来られた方々の願いや苦しみ、喜びなど様々な思いを聴かせていただき、神様に取次ぎ、神様の思いや人としての生き方をお伝えします。

お参りの方の言葉から、私は教師として何を受け取るのか?

そのところに、傾聴で学んだことが力にならせていただけているように思います🙏

まだまだ、ひよっこですが、人の助かりに、神様のお役に立たせていただけるよう、学びも続けさせていただきたいと思っています。

徳島傾聴塾では、ボランティア養成講座の募集が開始されています💡興味がある方は、どうぞお申込みください😊

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