み教えの実践とは・・
最近の日記の中で、「み教えの実践」という言葉をちょこちょこ自分で書いていて、
ふと、
「これを読んだ人は、どういうみ教えが思い浮かぶのだろうか??」
という考えが出てきました。
金光教では、教祖が参拝された人たちに言われた言葉をみ教えとして、生活の中で実践することを、
信心の稽古として大切にしています。
その内容を、分かりやすく現代の言葉でまとめたものが「天地は語る」という本にまとめられており
金光教のホームページからでも知ることができます。(興味がある人はのぞいてみてくださいね)
たくさんあるみ教えの中で、
「み教えの実践」という言葉を聞いた時、思い浮かぶのはきっと人それぞれなのではないでしょうか。
私も、やっぱり好きなみ教えがあって、
『明日塩辛(しおから)を食べるからといって、今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。取り越(こ)し苦労をするな。』とか
『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰(こし)をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ』
などなど、生活の中でちょっとした場面に出会う度に、「教祖が言っていることは本当だな」とみ教えを思い出しすることもあります。
でも、そのみ教えも知っていなければ、思い出すこともできなければ、実践することもできません。
頭でっかちの信心はいけないといわれるけれど、知って広がり深まる信心もあると思うのです。
最近、信心の勉強の方が、おろそかになっているなという自分の認識もあるので、
もっと、力を入れて学びの部分をさせていただきたいなと感じています👏