稽古、稽古、稽古で

今日は大阪の難波教会の月例霊祭参列の御用奉仕日。

ガレージセールの人重なっていたので、5時半ころから駐車場にテントを立て、机を出してから、高速バスで難波まで。

バスの中で勉強用の動画を観ようと思っていたら、すっかり寝落ちしていました😅

雨の日だったので、ガレージセールはお客さんも少なかったとは聞きましたが、それでもよく来てくださる方は今回も足を運んでくださり・・・

とてもありがたいことです😭

難波教会の参列は久しぶりなのでとても緊張はするけれども、やっぱりお広前に座らせていただいた時の、感じる雰囲気がとても好きで、力をいただけます😊

難波教会では、毎月第二日曜の午前11時からが月例霊祭の日で、祭典後の講話は難波教会長がしてくださいます😊

今日は、ご霊祭日ということもあり、先代難波教会長との思い出から感じたお話をしてくださいました👏

大変心配りが素晴らしい人だったけれども、

それは生まれた時から気配り上手だという、生まれ持ったものではなくて、

「心配(こころくば)り」という日々のご信心の稽古の積み重ねだったのだなぁということをお話を聞きながら感じさせていただきました。

金光教の信心は「稽古をさせていただく」という表現があります。

神様が奇跡的なおかげをポンとくれたりするのではなく、すでにいただいているおかげを受け取らせていただくための

「自身の器づくり」をさせてもらう。

それは、何かを購入するとかでもなく、

「すべての世話になるものに礼をいう心をもつこと」だったり、

「心配りをすること」だったり、

いつ誰でもどこでもできる稽古で、

それをすればするほど、器ができていけばできていくほど、

私たちの生き方は安心、喜びのあるものになっていくのだろうと思います。

簡単そうで難しい。

けれど難しそうで簡単でもある。

そんな信心の稽古を、人生のなかでこつこつと、進めさせていただきたいものですね😊

明日はご本部の生神金光大神大祭、楽しみです🎶

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