転換期
今日は、夫と、夫の友人との三人で、晩御飯を一緒に食べに行ってきました😁
夫とその友人との会話ではNFTなどの話がたくさん出て来るので、私は中々話についていけていないところがあるのですが、こういったものがこれから浸透していって、今の子どもたちが当たり前のようにそれらを扱えるようになっていくと、社会は、また大きく価値観が変わっていくんだろうなぁ~ということはなんとなく感じています。
今は技術進歩がとても速く、二乗のスピードでどんどんとさらなる技術革新が起こってくるだろうと言われています。
十年後には、今まで考えもつかなかったことが出来るようになっているだろうし、今小学校や幼稚園に通っている子どもたちが大人になった時の世界は、私には想像することも出来ません😅
そう思ってみれば、金光教教祖が生きた時代も、大きな時代の変化の時でした。
江戸時代から明治への変遷の時。文明開化と言われる時代でもあります。
けれども、そのような時代の中、教祖は神様から
「世が開(ひら)けるというけれども、開けるのではなし。めげるのぞ。」
というお言葉をいただきました。めげる、というのは、壊れる、ということです。
様々な制度が変わり、技術が諸外国から流入し、産業革命が起こって、傍目には当時の人たちの生活は豊かになる場面もあったと思います。
けれども、神様からみると、それは「~させていただく」というお礼の気持ちが人々の中から薄れていき、物を物としてしか見ない考え方が台頭していった時代だったのかもしれません。
こうした価値観の転換期に、教祖は「天地の道理に基づいて生かされて生きること」を当時の人達に説いていかれました。
今、この時代に教祖が生まれ、天地金乃神さまと私たちが呼んでいる神様と出会っていたら、一体どんな言葉が出て来るんだろう??
答えは出てきていませんが、それを心で考え、世界の流れを大きくみていくことは大切だなぁ、と楽しい語らいの中で感じさせていただいておりました😅
信心は、自分に対しても、世界に対しても、常に問いを持つことに近いような気がしています。
「何故?」という問いに、神さま視点を入れていく中で、見つかるものが出てくるのかもしれませんね😄