拝詞を読むと…

金光教には、ご祈念の時に読む言葉があり。これを拝詞(はいし)と言います💡そして、その拝詞が載った「日々(ひび)がさら」という拝詞集(ご祈念本)があります。

左:通常版 中央:難波教会専用 右:拝詞のみのスリム版

金光教の先生になるための養成学校「金光教学院」に行った時、ご祈念の前にまず言われたのは、

「たとえ拝詞を覚えていたとしても、拝詞集はご祈念の時には出して、目で読みながら唱えること」でした。

小さいころからほぼ毎日おこなってきたご祈念ですから、大抵の人は大体、拝詞を覚えています。(私は記憶力が悪いため、よく間違ったり、何故か無限ループの部分が出てきちゃうのですが😱)

それでも「目で読みながら」唱えることが大事だというのは、一体どういうことか❓

それは、ご祈念では毎回、拝詞の意味をしっかりとかみしめながら、祈りをこめて唱えさせてもらいなさい、ということなのだと私は理解しています。

言葉を覚えて毎日のように唱えていると、ついつい歌を口ずさんでいるときのように、別のことを考えたりしながらでも拝詞を唱えることが出来るようになります。

「今日の夕飯何にしようかな~」「今日は眠たいな~」とか😂

でも、それじゃぁいくら口では拝詞を唱えていたとしても、心はここに非ず。祈りにはなっていきませんよね😭

以前、ある宗教学者の方が本部の大祭に参拝し、金光教の拝詞を読み上げていたところ、

「金光教は教義がないと言われていたけれど、素晴らしい、立派なのがあるじゃないですか。この拝詞が、教義そのものですよ。」※教義…宗教の教えを体系化したもの、教えの内容・主張

と言ったのだということを聞いたことがあります。

金光教にとっての神様とは、人間とは、ということが拝詞には書かれています。しかも、今の拝詞は昭和58年に出来たものなので、少し文体は昔のものであるものの、丁寧に読めば意味もちゃんと分かります。(もっと分かりやすく口語訳を載せている本もありますが)

教祖が発見した神様、神様との関係、世界の捉え方、人間の生き方、御霊の捉え方、そういったものを拝詞を唱えながら、心に想像し、味わいながら、神様に心を向けさせていただくご祈念にならせていただくことが大事だな、と思いました🙏✨

拝詞集を持っていない方もご安心を😄

自分のスマホにこちらから拝詞集がダウンロードできるようになっています🥰

本部参拝や教会に参拝した時に「拝詞集忘れた!!」なんて時にも使えるので、ありがたいですね😁