越年祭後のお話

 今年の漢字は一体何だったのか、皆さんご存知でしょうか?
 「戦(せん)」が今年清水寺で書かれた一文字でした。
 この言葉から真っ先に思い浮かぶのは、ウクライナとロシアの戦争ですよね。今もなお続いており、早い終息が心より願われます。佐古教会でも、ご祈念の終わりには「平和の祈り」とお唱えして、戦争とがはやく終息しますようにとお祈りさせていただいております。
 また、別の意味では、サッカーのワールドカップ戦もあげられるのではないでしょうか。日本が大健闘し、「ブラボー」という言葉がテレビをにぎわせました。夜遅くのリアルタイムゲームを観て、寝不足だった方もいらっしゃるかと思います。日本チームが素晴らしい感動を与えてくれましたね。 
 さらには、この物価高と家計との戦い、という意味での身近な戦(いくさ)がこの一年はあったように思います。
 宗教団体においては、旧統一教会という大きな問題が出てきて、「宗教2世」「カルト教団」といった言葉がニュース等で飛び交い、宗教者としてもこの状況は戦々恐々としていたように思います。
 では、皆さんにとっての今年の一文字はなんだったでしょうか?
 私にとっては、「広」という文字がぴったりくる一年でした。実は私にとって今年は、環境が大きく変わった年でした。保護司や自主防災組織といった地域の御用を新たに受けさせていただき、さらに2月からは徳島市の研修を経て東京の会社とリモートで仕事をさせていただくようになりました。その中で、人間関係、つながりが、大きく広がっていきました。
 また、浄土真宗、浄土宗、曹洞宗、真言宗など、仏教の様々な宗派の僧侶の方々と一緒に研修させていただく機会をいただき、さらに同じ時代に教団として成立した黒住教の方々とも研修会を企画し、一緒にこれからの宗教の在り方を考え、交流をさせていただく、ということがありました。
 そうした中で、金光教の中だけでは気が付かなかったであろう金光教の良さを改めて感じさせていただき、やはり自分が金光教を好きなのだと実感させていただくとともに、様々な宗派や宗教があっても、それぞれが自分の信仰を大切にしながらも、「社会をより良くしたい、人が助かってほしい」という願いを同じにして、時には連帯や協働をしながら積極的に活動をされている人達が多くいることに、気が付かせていただきました。
 つい最近、カルト教団について、僧侶やイスラム教、キリスト教の宗教者や宗教学の教授が対談している番組を観たのですが、そこではカルト教団というのは、自教団以外は排除していく「束縛し孤立させていくものである」 ということを途中で話していました。このことと、今年私が出会ってきた宗教者の方たちというは、全く正反対のイメージがあるなと思わせていただいております。
 そして、宗教は世の中からかなり期待されているものがあるのだということを教えてもらいました。

このように、自分の「金光教」「宗教」についての考えが広がった一年となりました。
 これは、「私が考える一文字」だったとともに、神様から願われていた「一文字」でもあったのだと思っています。
 どういうことかと言いますと、「神様はどう思っておられるのだろうか」という視点でこの一年を振り返った時に、神様から

「道江、世界を広く持っておれ」

と言われているような気がして仕方がないのです。神様がこの一年、先ほどお話したような出来事に出会わせてくださったと思わせていただいているのです。
「私自身が捉えるどんな一年だったのか」と「神様から願われたこの一年」。
 この二つの視点を交えたとき、皆さんは、どんな一文字が出てくるでしょうか?

 この一年を生かさせていただいたことに御礼申し上げるとともに、大掃除や年を迎える準備で忙しいとは思いますが、今年最後の時間で神様へ心向かわせていただきたいと思います。
本日はようこそご参拝でした。

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