気遣いを感じて
タイで2週間ほど過ごす中、夫の上司の方と、そのパートナーの方とに、とてもお世話になりました。
空港からの送迎の手配に始まり、仕事終わりにご飯に連れていってもらったり、街の情報を教えてもらったり。
そして、ごはんも自分の行きたいところではなく、私たちの好みに合わせていろいろなところに連れていってくださり、
お店でも頼む料理や、ちょっとした料理の上げ下げなど、至るところで、人への気遣いが感じられます。
夫と二人で、「本当にお世話になった。二人とも心から気遣いの人だ。どうやったら恩返しできるんだろうか?」と
タイ滞在中に何度も語ったものです。
そして、それを自分にふりかえってみた時に、果たして自分だったらそんなことが出来ていただろうか?
という風にも感じます。
気遣いが出来るには、相手がどうやったら喜ぶか?相手のことをしっかりと見て、自分がその立場だったらどう思うか?
そうやって考えることが必要になってくるかと思います。
それは生まれ持った特性ももちろんあるのでしょうが、ある程度、経験だったり、
「そうさせてもらおう!」という稽古の部分も多いのではないかと感じます。
難波教会初代の近藤藤守先生は、「心配り(こころくばり)の信心」ということを伝えられていました。
微細なところへ心を配ることが出来ずして、どうして神様のおかげ・願いにきづくことができるだろうか。
そのような思いがこもっているように、私は捉えさせていただいています。
私も今回の旅の中で気づかせていただいた気遣いを、また次の人へさせていただけるように、稽古していきたいと思います。