不得手もあるけれど
私は、よく人前で話をしたり、いろいろな研修に出させてもらって、そこで話したりもしますが、基本的には、人前で話しをすることも、会話をすることも、怖いとか、苦手、という意識を持っています💦
それは子供のころからずっとそうで、部活で試合の後の主将挨拶をしないといけないとなると、ずっと頭の中で何を言うか、
考えに考えて、小声でなんども練習して、それでやっと人並みに挨拶ができる、というような状態でした。
金光教教師になってからも、教話をするときは事前にお話の構成を考えて原稿におこしておいて、練習をしてからお話をするとだいぶ安心して話ができるのですが、
「何の話をさせてもらおう??」と思っている状態で話しだそうとすると、途中で自分が何を言っているのかわからなくなってしまうことが多々あります😭
なので、なんの原稿も持たずに自信をもってスラスラとお話できる先生方を見ると、とてもうらやましく思いますし、
どうやったらそんな風に出来るんだろう?と頭の中をのぞいてみたくなります😅
ずっとそこには憧れがあるのですが、ただ、できない自分を嘆くのももったいないなぁ、とも思います。
話をすることに関しては、時間をかけて努力をすればある程度できるようになるのは今までの経験で分かってきたことだから、
その努力をさせてもらえることが有難いし、何か不得手があるということは、別で得意なこともある、ということでもあると思うのです。
だから、その得意はなんだろう?と自分の良いところを探して、自分でちゃんと認めてあげる。
そういった、自分に対しての良かった探しをすることも、とても大切だなぁと思います。
教祖は、人を五本の指に例えて、「親指や小指、人差し指、というように、どれも長さや太さが違って、同じ指というものはない。だけど、それぞれが違うから、物を掴む、ということが出来るようになる」というようなことを教えてくれています。
人と違うことは嘆くことでもなく、それも大切なことなのだと、信心を通して自己肯定感が育てられているように感じさせていただいています👏