教学研究会に参加
今日は、金光教教学研究所が主催する教学研究会にオンライン参加させていただきました。
個別発表と全体発題&討論で朝の9時半から15時半までたっぷり、脳に汗をかきました😅
明治期の都市部布教につながる発表や、教祖が書きつけた「金子さしむけ帳」(金銭にかんする書付をしている帳面。これのほかに、息子の金光萩雄が書きつけた金子帳も二つあり)をみて、教祖がどのように金銭のやりとりでさえ神様のお差し向けとして捉えていたのではないだろうか?という想像が膨らみます。
また、神道神職を輔命した教祖の神職としての活動というのも発表してくださり、教祖像がもっと幅広くなったような気がしています。
そして、全体討論では、『言葉』について考えよう。というものでした。
信心の言葉(例えば教祖のご理解)も、単に画一的な言葉になってしまうと、その言葉の意味が消失してしまう。
語り手でも、受け手でも、一人ひとりの実体験や実感がこもって腹落ちした言葉となってはじめて、それは信心の言葉になるのではないだろうか?
そんなことを考えさせていただけました🙏
いつもは二日かけておこなう教学研究会ですが、コロナの影響でオンラインと対面併催&一日開催となり、やっぱりいろんな先生との語り合いの時間がないと物足りないような気がします😓
聞いた話を、他の先生の言葉をもってより深め広げられる・・・研究会の後の懇親の場にはそのような作用も持ち合わせています。
来年は、現地で参加できると嬉しいなぁ、と思わせていただきました🙏